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デザイン哲学:宮本茂、主人公はプレイヤーである

GDC 2007の壇上でWiiリモコンを手にする宮本茂

原則

「良いアイデアとは、ひとつの問題だけを解決するものではなく、複数の問題を一度に解決できるもののことだ」 – 同僚たちが受け取った宮本茂(Shigeru Miyamoto)によるアイデアの定義1

岩田聡は、この定義を自らの思考の一章を組み立てるに値するほど重要なものと考えました。1 一見するとプロジェクト管理の話に聞こえますが、実際には優雅さについての理論です。マリオのキノコはキャラクターを大きくします。それは同時に、力を得たことを伝え、ダメージを一度肩代わりし、壊せる対象を変え、ぼやけたテレビ画面でも一瞬で読み取れます。ひとつのアイデアで、4つの問題。宮本作品が必然のように感じられるのは、そこにある要素のほとんどが幾重にも役割を担っているからです。

第二の原則は、第一の原則の土台に横たわっています。主人公はデザイナーではなくプレイヤーである、というものです。宮本はパフォーマンスではなく遊び場を——本人の言葉で言えば箱庭を——つくり、画面に何が映るかではなく、プレイヤーが何を「する」か、何を「感じる」かで良し悪しを判断します。彼の実践において、面白さは気分ではありません。プロトタイピングによって突き止められる、検証可能な性質です。そして、ほかのすべてはその発見に従属します。

背景

宮本は1952年、京都郊外の小さな町、園部に生まれました。子ども時代の多くをテレビのない環境で過ごしています。彼を形づくったデータセットは、田舎そのものでした。山の斜面を歩き回り、ある日、洞窟を見つけ、家にランタンを取りに戻って探検したのです。この洞窟の話を何十年も語り続けてきたのは、『ゼルダの伝説』がその直系の子孫だからでしょう。自分の度胸だけを頼りに踏み込む、世界にあいた穴の不思議さ。2

金沢美術工芸大学で工業デザインを学び、1977年、父親の伝手で山内溥との面接にこぎつけます。任天堂は彼を社内初のアーティストとして採用しました。3 アメリカで売れ残ったアーケード筐体を数千台救済する必要が生じたとき、その仕事はゲーム経験のない若きアーティストに回ってきます。監督したのは、同社のハードウェアの達人横井軍平でした。生まれた『ドンキーコング』(1981年)は、アーケード機としては新しいものを備えていました。動機を持つキャラクターです。大工、さらわれた恋人、嫉妬する巨大なサル。ひと目で読み取れる物語が、たったひとつの動詞——ジャンプ——を包んでいました。

作品

『スーパーマリオブラザーズ』(1985年):言葉のない取扱説明書としてのワールド1-1

手塚卓志、作曲家の近藤浩治とともに、宮本は家庭用ゲーム機を定義する一本をつくり上げました。そのオープニング画面は、いまなおこの媒体でもっとも研究されているデザインの遺産です。ワールド1-1は、配置だけですべてを教えます。最初のクリボーは歩く速さで近づいてきて、プレイヤーにジャンプを覚えさせます。最初のキノコは低い天井の下に閉じ込められているため、望むと望まざるとにかかわらず跳ね返ってこちらへ滑ってきて、成長を実演します。穴が現れるのは、それを越える手段が手に入ったあとだけです。テキストもチュートリアルもありません。ステージそのものが取扱説明書であり、ゲーム内外を問わず40年分のオンボーディングデザインがここから派生しています。

ニンテンドー エンターテインメント システム

『ゼルダの伝説』(1986年):出荷された洞窟

マリオの数か月後に発売された『ゼルダの伝説』は、それを反転させました。マリオが技量の階段を上る一本道を右へ引っ張っていくのに対し、ゼルダはあらゆる方向に敵のいる開けた野原にプレイヤーを放り出し、洞窟の老人が剣を差し出します。1986年としては過激なデザインの賭けでした。プレイヤーが迷子になることを信じる、という賭けです。宮本は自分の子ども時代を——山の斜面を、ランタンを、洞窟を——瓶に詰めていました。オープンワールドの大作から探索ジャンル全体まで、その子孫はいまもこの遺産を使い続けています。2

プロデューサーの時代(1990年代〜2000年代):センスをスケールさせる

宮本の後年のキャリアは、より難しい問いに答えています。ひとりの人間のデザイン感覚が、どうすれば数百のプロジェクトを律することができるのか。彼の答えは、スタイルではなく受け渡し可能なテストの集合でした。複数の問題を解くという、アイデアの定義。ドキュメントよりもプロトタイプ——アートに費用をかける前に、素のメカニクスの中に面白さの核を見つけること。そして、チームが「ちゃぶ台返し」と名づけた介入。面白さのテストに落第したとき、ほぼ完成した仕事を終盤でひっくり返すこの行為は、恐れられ、恨まれ、そしてたいていは正しさが証明されました。1

『スーパーマリオブラザーズ』30周年に集まった手塚卓志、宮本茂、近藤浩治

Wii(2006年):据置機スケールの枯れた発想

Wiiは、横井の流儀が本人の死後も任天堂の中に生き延びたことを示す、もっとも明快な後期の証拠です。テラフロップスを売る競合に対し、任天堂は控えめなハードウェアを出荷し、革新をインターフェースへ移しました。テレビのリモコンの形をしたモーションコントローラーは、ゲームパッドを握ったことのない人にもわざと馴染み深く見えるようにつくられています。宮本の指紋は、その哲学と、それを教えたゲームの両方に残っています。Wii Sportsは、おばあちゃんのためのワールド1-1でした。スペック競争を丸ごと拒むことで、Wiiは史上もっとも売れた家庭用ゲーム機のひとつになったのです。34

Wiiリモコンとヌンチャク

手法

宮本の手法は、アイデアがどこに宿るかについての確信から始まります。ジャンルでも技術でもなく、観察された生活の中に、です。園芸は『ピクミン』になり、浴室の体重計は『Wii Fit』に、家の犬は『nintendogs』になりました。デザイナーの仕事は、ある活動の中にすでにある面白さに気づき、それを誰かに届けるための最小の機械を組み立てることです。

あとはテストが引き継ぎます。仮の絵素材のままでも、中核のメカニクスは楽しいか。ひとつの新しい要素は複数の問題を同時に解いているか、それとも単なる飾りか。初めて触れる人の手は、教わらずにルールを覚えられるか。そして組み上がったものが終盤で手ざわりのテストに落ちたなら、ちゃぶ台はひっくり返されます。発売スケジュールは取り返せますが、出荷された退屈は取り返せないからです。1 これは二郎級の職人規律を歓びに適用したものです。基準は「動くかどうか」ではなく「プレイヤーの心を動かすかどうか」であり、どれだけ完成したアートも免除の理由にはなりません。

影響の連鎖

彼を形づくった存在

横井軍平 – 師であり、方法そのもの。横井は『ドンキーコング』を監督し、その「面白さが先、スペックは後」の教義は、宮本がキャラクターと世界で満たしていく枠組みになりました。Wiiは二人の哲学の融合です。枯れた技術、水平思考のインターフェース、遊び場としてのソフトウェア。(形成期の師事)3

園部の田園 – 中身そのもの。テレビのない子ども時代の洞窟、川、山の斜面は、彼の最良の仕事が何度も再構成しつづける原風景です。2(形成期の経験)

彼が形づくったもの

この媒体の文法。 キャラクター主導のデザイン、言葉のないチュートリアル、プレイヤーへの信頼としてのオープンワールド。業界全体の実務語彙は、不釣り合いなほど彼に由来しています。

ゲームの外へ広がるデザイン。 ワールド1-1は、いまやオンボーディングやプロダクトデザイン一般の定番ケーススタディです。「まず面白さを見つける」プロトタイピングは、ゲームを一本も出荷したことのないスタジオにも現れています。

一本の筋

横井とともに、宮本はこのシリーズのゲーム編の対を完成させます。慎ましい部品を選んだ技術者と、そこに生命を吹き込んだ芸術家。任天堂の哲学そのものが、二人の交点にあります。シリーズ全体との響き合いも強く、スーザン・ケアがデスクトップに対して行ったことは、宮本が家庭用ゲーム機に対して行ったことでした。遊び心があり読み取りやすいキャラクターによって、技術的な機械を人間の側へ引き寄せたのです。そして彼はスティーブ・ジョブズの偉大な対の存在でもあります。二人とも技術は人間の体験のためにあると言い張りましたが、ジョブズは使うことの優雅さを、宮本は遊ぶことの歓びをデザインしました。隣り合う宗教の、異なる神です。(シリーズの橋渡し)

ここから学んだこと

複数の問題を解くかというテストは、私が知るかぎりもっとも切れ味の鋭いアイデアの濾過装置であり、いまでは機能の検討にそのまま当てています。提案された追加がちょうどひとつの問題しか解かないなら、それはおそらく機能の服を着たパッチです。つくる価値のある追加は、入った瞬間にほかの3つを簡単にします。ワールド1-1は私のオンボーディングの基準です。プロダクトは配置によって自らを教えるべきであり、ツールチップはすべて、失敗したレイアウトへの詫び状にすぎません。そして「ちゃぶ台返し」は、私がもっとも気が進まず、もっとも必要としている規律です。組み上がったものが正しく感じられないとき、埋没したアートに投票権はありません。終盤のひっくり返しは、出荷された凡庸さよりも、いつだって安上がりなのです。

よくある質問

宮本茂のデザイン哲学とは何ですか

プレイヤー第一、面白さ第一のデザインです。プレイヤーが主人公となる箱庭をつくり、コンテンツに投資する前に早い段階のプロトタイプで「面白さの核」を突き止め、複数の問題を一度に解くアイデアを選びます。1 技術と物語は遊びの手ざわりに仕えるものであり、その逆ではありません。

『スーパーマリオブラザーズ』のワールド1-1はなぜ有名なのですか

冒頭のステージが、テキストを一文字も使わずにゲーム全体を教えるからです。敵の配置がジャンプを教え、閉じ込められた最初のキノコが否応なくパワーアップを実演し、危険は必ずその解決手段のあとに現れます。レベルデザインによるチュートリアルの規範的な例であり、ゲーム業界の外でもオンボーディングの名講義として研究されています。

『ゼルダの伝説』はどのように生まれたのですか

京都郊外の園部で過ごした宮本の子ども時代から、とりわけ山の斜面で洞窟を見つけ、ランタンを手に戻って探検したあの日から生まれました。ゼルダは自ら方向を決める発見の感覚を再現するためにつくられており、だからこそ説明の並ぶ一本道ではなく、説明のない世界から始まるのです。2

宮本茂と横井軍平の関係はどのようなものでしたか

任天堂のベテランハードウェアデザイナーだった横井は、若き宮本の初作品『ドンキーコング』(1981年)を監督しました。3 横井は面白さを先に置く工学の教義とハードウェアの実利主義をもたらし、宮本はキャラクター、世界、物語の魅力を加えました。控えめな技術で遊びを最大化するという任天堂の変わらぬアイデンティティは二人の融合であり、ゲームボーイからWii、そしてNintendo Switchに至るまで見て取れます。



  1. 岩田聡『Ask Iwata: Words of Wisdom from Satoru Iwata, Nintendo’s Legendary CEO』(Viz Media、2021年)– 良いアイデアとは複数の問題を一度に解くものだという宮本の定義、面白さを突き止めるプロトタイプ優先の手法、そしてチームが「ちゃぶ台返し」と呼んだ終盤のやり直しについての岩田の証言。 

  2. Nick Paumgarten「Master of Play」The New Yorker(2010年12月20日)– テレビのない園部での子ども時代、山の斜面の探検、ランタンの明かりで入った洞窟、そしてそれらと『ゼルダの伝説』を結ぶ直接の線。 

  3. 宮本茂」Wikipedia – 伝記的な骨組み。1952年、京都府園部に生まれる。金沢美術工芸大学で工業デザインを学ぶ。山内溥への紹介を経て、1977年に任天堂へ社内初のアーティストとして入社。横井軍平の監督のもとでの『ドンキーコング』(1981年)。『スーパーマリオブラザーズ』と『ゼルダの伝説』(1985〜86年)。任天堂情報開発本部(EAD)の統括。インターフェース主導のデザインによるWiiの時代。 

  4. 写真:GDC 2007の宮本、撮影Vincent Diamante(CC BY-SA 2.0)。ニンテンドー エンターテインメント システム、およびWiiリモコンとヌンチャク、撮影Evan-Amos(パブリックドメイン)。『スーパーマリオブラザーズ』30周年の手塚、宮本、近藤、撮影Nico Hofmann(CC BY-SA 4.0)。Wikimedia Commonsより。 

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